『にんげんドキュメント』
2002年11月14日ついさっきまで、『にんげんドキュメント』を見ていました。
今日の内容は、「マウンドで雄たけびを」と題し、千葉ロッテマリーンズの黒木知宏投手、右肩の激痛からの再起のドキュメントでした。
自分はエースだからと、痛いから投げない、投げれないというのは自分の中で許せないと言っていた黒木投手。
そして昨年、チームのために肩の痛いのを隠し、投げ続けました。
その結果、選手生命にかかわる重症を負いマウンドを降りた。
あれから1年3ヶ月。
当初は2002年開幕と同時に復帰する予定でリハビリが続けられていた。
しかし投げることのできない日々、復帰の目処がたたず、ロッテの2軍球場の横にある芝生で走り続ける毎日。いつしか、そこには芝生が磨り減りひとつの道ができていました。
その後は、今季最終戦での復帰を目指し、最終戦10日前にブルペンで101球の投げ込み。
その2日後にもブルペンで投げ込み。
しかし、101球を投げて4日後、キャッチボールをしていたときに違和感を感じ、再び激痛が・・・
最終戦での復帰は絶望的となりました。
このまま、今のフォームで投げると肩に影響があるということで、黒木投手は現在フォーム改造に取り組んでおられるそうです。
最後に黒木投手がこう言っていました。
「このままで終わりたくない。最後は笑顔で終わりたい」
私はこの言葉を信じています。そして一日も早い復帰を。
黒木投手、頑張ってください。
何か今日のは日記でないような気がするなぁ・・・
でも、これを見てすごく感動して、思ったことなどを素直に書きました。
今日の内容は、「マウンドで雄たけびを」と題し、千葉ロッテマリーンズの黒木知宏投手、右肩の激痛からの再起のドキュメントでした。
自分はエースだからと、痛いから投げない、投げれないというのは自分の中で許せないと言っていた黒木投手。
そして昨年、チームのために肩の痛いのを隠し、投げ続けました。
その結果、選手生命にかかわる重症を負いマウンドを降りた。
あれから1年3ヶ月。
当初は2002年開幕と同時に復帰する予定でリハビリが続けられていた。
しかし投げることのできない日々、復帰の目処がたたず、ロッテの2軍球場の横にある芝生で走り続ける毎日。いつしか、そこには芝生が磨り減りひとつの道ができていました。
その後は、今季最終戦での復帰を目指し、最終戦10日前にブルペンで101球の投げ込み。
その2日後にもブルペンで投げ込み。
しかし、101球を投げて4日後、キャッチボールをしていたときに違和感を感じ、再び激痛が・・・
最終戦での復帰は絶望的となりました。
このまま、今のフォームで投げると肩に影響があるということで、黒木投手は現在フォーム改造に取り組んでおられるそうです。
最後に黒木投手がこう言っていました。
「このままで終わりたくない。最後は笑顔で終わりたい」
私はこの言葉を信じています。そして一日も早い復帰を。
黒木投手、頑張ってください。
何か今日のは日記でないような気がするなぁ・・・
でも、これを見てすごく感動して、思ったことなどを素直に書きました。
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